死にたいと思ったことはありますか?
...なんて気軽に身近な人には聞けない質問ですね。
私は死にたいと思ったことがあります。
慢性的に思っちゃうんですよね...。
それはなぜなんでしょう、父が自殺をしたから?
それはもちろんあります。
まぁだからと言って私の生きづらさは
父の死だけの理由ではないと思います。
私は自死遺族になって8年経ちました。
年を数えようなんて思ったことなかったからなんか変な感じ。苦笑
結構経ってるような感じがするのですが、
私にとってはなんだか時間が経ってないような感覚。
いつの頃からか時間の流れが
鈍く止まっているような感覚になっています。
そんな私が思うことや身に起こってる症状など
つらつら書いてみようと思います。
自死遺族の私の身に起こる症状
慢性的苦しみ
上手く言葉で表せるかわからないですが、とにかく慢性的な苦しみが私の中には存在します。
朝起きてから寝るまでの間。
ほんの時々夢の中。
ふとした瞬間に幾度もの感じるこの感覚。
強烈に死にたくなる時がある
物事が上手くいかない時だったり、生理前(多分PMS)に落ち期がやってきて、もしその時に些細なことでも傷つく出来事があるとものすごく死にたい気持ちに頭が支配される時があります。
いつもじゃないんですけど。
本当に死にたいと一瞬でも思ってしまうのは怖いです。
シラフに戻ると全然死にたくなんてないんです...。
ただ、ただ苦しい。その事を他の言葉では言語化できない、表せれないだから死が浮かぶ。
ふとした瞬間に”消えたい”という思う感覚がある
死にたいとまで思わない時期はありました。
それでもふとした瞬間に消えたいと思うようになりました。
それは”死にたい”は必ず周りの人間が苦しむので、それは嫌だけれど(私自身が感じているから)
生きるのがつらいなぁ、生きづらいなぁって思うときはふいに消えたいなぁって思っていました。
対人恐怖が悪化した
小さい頃から威厳を持ってる人が怖くて仕方がありませんでした。
例えば担任の先生とか。
無意識の中でそれは父だったんだと思います。
私は父が物心ついた時から怖かったというか、仕事から父が帰ってくると家の中の空気が変わるような感覚でした。
気を抜けないというか、なんというか。
なので威厳のある人がいるとき心が強張るような感じでした。
(かといっても子供の頃は結構やりたい放題で外で毎日のように遊びまくってるような子供でした。笑
小中学年頃から外へ遊ばなくなっていき、部屋での遊びが増えていきました。)
月日が経った今でも立場が上の人と関わるときは気が抜けない
そうゆう幼少期の過ごし方だったからか、威厳を持ってる人がいると全然気が抜けてなくて、心も開くことができないんです。
どんなに優しい人でも、いい人だと思っても余計に嫌われないように気が張ってしまうんですよね...。
それが原因でバイトも辛かった時期が度々ありました。
私は小さい頃から人見知りもあったので多少は対人恐怖を抱く気質はあったのですが、日に日に対人恐怖症になってしまったな...って思います。
人間関係が続かない
そうゆうこともあって、いつも友達ができても絶交して終わったり、学校を卒業したらそれで終わり。
高校生から友達で専門学校も一緒の所に通った子も一緒に居すぎて嫌いになって、私から避けて終わりになることばっかりでした。
歳を重ねるにつれるたびに感じる苦しみがある
まだ父が死んだ16才から19才頃までは父の事について深く考えるようなことはありませんでした。
あの頃の私は夢があったので、その事を考えて自分の心を守っていたように思います。
ですが、その夢のために行った専門学校を中退し挫折。その後音楽が好きだった私はバンドを組んでみたり、新しいバイトを始めようとしてみたりするのですが、なんでだか続かない、上手くいかない...。
ひとつ挫折するたびに自己嫌悪がひどかったです。
異様に自己否定をして、自分の部屋のものを投げたり、壊したり、必要以上に断捨離をしていた時期がありました。
ストレスで髪を切ったときに失敗して、なぜか坊主にしてしまった時もありました...。
似合わなすぎる&やっちまった嫌悪感で再び自己嫌悪満載でした。苦笑
(ちなみにそれが原因で人に会えなくなってバンドを辞めて、バイトは帽子&ウィッグを被ってやっていました...。笑)
まぁ理想像が高かったんだとは思います。
やりたいことに適応できない自分を受け入れるには時間がかかりました。
”受け入れた”というよりは”諦めた”という方が近いと思います。
諦めたことで芽生えた感覚はなんとも言えない”無気力感”でした。
慢性的な無気力感
それからは、ものすごく無気力になっていきました。
やる気が出ない、気力がわかない感じです。
人との関わりもほぼバイトの人と家族以外いない状態。
ネットと惰性で続けているバイトとテレビを見るだけの日々。
これって学習性無力感なのかな
このエッセイを読んで出てきて自分もこれなんじゃないかな?って思ったのは
学習性無気力という症状。
学習性無気力とは
長期にわたってストレスの回避困難な環境に置かれた人や動物は、その状況から逃れようとする努力すら行わなくなるという現象である(Wikipedia)
父の死のことが心のしこりになっていつも存在していて、人と関わりを持とうと努力してみても、いつも絶望感が芽生えてしまって、次第にやりたいことをする気力がなくなっていったように思います。
どうしても
やりたいことは人とのつながりを求めてしまうものだったから。
こんな自分でも楽しく生きたいんですけどねぇ。
もうしゃあないとは思ってるんですが、この感覚が常に存在している感じです。
この感覚が晴れることは来るんでしょうかねぇ。
とほほのほ。
慢性的な虚無感
なんで自分はこうも上手くいかないんだ、上手く生きれないんだろうって思った時
対人関係がいつも上手くいかないと気づいたんです。
好きな事なら頑張れると思っていたのに、人との関わりのなかで自分を出すことが苦痛になっていました。
それは少なからず父の死が関係していました。
他人と家族のことや父親の話になるとものすごく身体も心も強張ってしまいます。
自尊心が低くなる
事柄は人それぞれ違っても
言えないことがある
ということがあるだけで苦しみが生まれる
んだとこの間Daigoさんのyoutubeで見かけたんですけど、まさにそうだなと思いながら聞いていました。
自尊心が低いことについて話しているのですが、私は自尊心が激低なので地味にグサグサと落ち込んだ。笑
本当に鬱や不安症よりも自尊心が低いことはヤバイって実感しますよ...。
自分を好きになりたいんですけどね。
自尊心てなんなんだよーーーって感じですわ。もう。笑
明らかに自尊心は低くなりました。
父に対しての自責の念、後悔、恨み...etc
それに伴い対人関係がいつも続かないことへの苦しみ、悲しみ、自己嫌悪がひどくなって
仕方がなかったです。
何かをやっても達成感が薄い
心に穴がぽっかりとずっと空いている感覚があります。
何かを達成した時って満たされるじゃないですか?
もちろんその一瞬は満たされるんですが、そのあとに襲う感覚が
心の穴からどんどん何かが出て行って、心がスカスカになっていくようななんとも言えない感覚がわきます。
欠如感が膨らんでくる
特に人と関わるとき、人と比べてしまうときに感じてしまいます。
なんであんなに楽しそうなんだろう。
あんな気軽に友達を作って、話して、はしゃいで...。
なぜワシにはできねぇんだぁあぁあぁあぁあーーーー
と心の中でいつも絶望してしまうんですよね...。苦笑
どうしても人と関わると自分の考え方の歪みとか、自分が異常なんじゃないかと感じてしまう時があって、結局人に心が開けなくなって相変わらず絶望しちゃうんですよね...。
トホホ....。
心のスカスカ部分が異様に膨張しだすような感覚
に襲われてしまいます。
なんなんやろか、この感覚。
それでも
普段は蓋を閉めている心の引き出しを開いてしまうと、苦しいという言葉を連打したくなるくらい苦しい。
苦しいという言葉を連打して言葉を画面いっぱいに埋め尽くしたりないくらい苦しい。
苦しいと言いつづけたいくらい本当は苦しい。
でもそれを言えない。
誰にも言えない。
書いていて思ったことは
なんだかんだ言って
言えないから苦しいんだと思います。
父のことを他人に話すことが怖くて、恐ろしくて言えなくてだから
苦しいんだと思います。
誤魔化しながら生きてるけど、やっぱり虚しいんです。
この感覚を拭える時がいつかくるのでしょうかね...。
ブログには書けるようになってきた
まだ、気軽に父のことを家族内でも、他人にも言えないけれど
匿名ではあるけれどこうやってブログに綴ることはできた。
ちょっとは前進したかな...?って思います。苦笑
慢性的に上記に書いた感覚を抱きながら生きてるけど、だからと言って私の人生はどうなの?って考えると、それなりに楽しく生きてきたと思ってます。
やりたいと思ったことはだいたい叶っているし。(ただただ続かないだけ。笑)
父が自死したことで芽生えた興味や関心、繋がりもありました。
私と似たように苦しんでいる人が見えないだけでたくさんいること。
見えるものだけに目を奪われて忘れかけそうになるけれど、
いつも私は見えないものに教えられて救われているんだと思います。
音楽や本に救われてきた
私は今思うとつらい時に音楽に救われてきました。
小3年から不登校気味な子供だったんですけど、そんな私が崇拝ぎみに好きになったのはTommy(川瀬智子)さんでした。
(the brillant greenがバンドでTommy heavnly6とTommy february6がセルフプロデュース)
中学の時、休憩時間にイラストを描いたり、クリアファイルやノートに歌詞を書いたり、毎日母の車で流して聴いて学校に行ってました。笑
家に帰ってからも寝る前など毎日聴いてその世界に浸っていました。
あのときは無自覚だったんですけど、Tommyさんの世界があったおかげで音楽を聴いてる時、学校にいるときも脳内BGMに浸ることで
生きづらさから解放されてたんだと今になって思います。
(私は当時あの世界へ行きたいと思ってました、笑。それくらい大好きだったんです。)
このことを書いてたらこの歌が浮かんできた。あの頃の自分に贈ってあげたい歌だなぁ。
Humbert Humbert - Boku no ohisama [Official Music Video]
家に帰えれば
ロックが僕を
待っててくれる
ボリュームあげるよ
それから生きるのがつらい時に出会った音楽に救われていました。
苦しい時に寄り添ってくれるんですよね、音楽って。
この記事に綴ったんですけど、やっぱり本に救われます。
上京していたときに図書館通いが習慣になってて
自死関連の本を読むと涙が溢れて
今まで抑え込んでいた感情が涙になってドバドバ溢れるような感じでした。
その時に知ったグリーフという言葉。
グリーフとは
グリーフとは、直訳すれば「深い悲しみ」や「悲嘆」を意味する言葉で、大切な人を失ったときに起こる身体上・精神上の変化を指します。 死別はもちろんのこと、離婚などによって関係がきれるとき、引越しで慣れ親しんだ場所から離れるとき、職を失くしたとき、ペットが死んだときなど、さまざまな状況で私たちはグリーフを経験します。
あぁ、この感覚ってグリーフなんだって知りました。
ただただ私だけじゃないんだと知ることができて
救われているから虚ろになりながらも
なんとか生きてこれてるんだと思います。
終わりに
ブログに書いてみると良いと
以前読んだ本『自殺』
で末井昭さんもおっしゃっていたので、身近な人にはまだ言える勇気はないですがブログには抑えずに書いていけたらなと思います。
拙い文章ですがここまで読んでくださりありがとうございました!*
2023.4.14 追記
これをふと読み返した時、心情にだいぶ前向きな変化が起きたので、そのことについての続きみたいなことを綴りました
https://www.sionnu.com/entry/2023/04/14/104644